いつか見た花
2001.4.20

前回に引き続き“メールの話”を書くつもりでしたが、都合により変更いたします。m(_ _)m

春は花の季節、旅行の季節でもある。この3月末から4月にかけて愛知県の豊橋方面に出かける機会が二度もあった。豊橋はかつて15年間住んでいた土地でもあり、東京育ちの我が家族にとっては、いわば第二の故郷でもある。今でも一年に一、二回は豊橋方面に行く機会があるが、これほど続けて出かけたのははじめてだ。

ここ二、三年木や花の写真にはまっている私としては、旅先でどんな花に出会えるかは楽しみの一つ。3月末の豊橋行では全国的にも珍しい渥美地方のシデコブシの自生地を訪ね、心ゆくまで幻想的な光景を楽しむことができた。この様子は“鎌倉の花”ページに番外としてに掲載してあるので興味のある方はご覧いただきたい。

今回は友人達と奥三河を訪ねた。奥三河というのは通称だが、地名でいうと北設楽(したら)郡を差すようだ。奥三河地方に電車で行くには豊橋から飯田線に乗る。のんびりと野や畑を横切り、北上するにつれ山に近づいていく。新緑のまぶしさに加え、町中よりやや遅いサクラやレンギョウ、ハナモモ、ナノハナ・・・、懐かしい“いつか見た景色”が続いていた。以前は何げなく見過ごしてきた平凡な農村・山村風景がこんなに美しかったのか・・と改めて知った旅でもあった。

豊橋に住んでいた15年間は比較的町中、それもアパート・マンション住いだったこともあり、自然の植物にはあまり縁のない生活だった。木といえば松ばかり、家の周囲はタンポポばかり・・。そういえばタンポポは一年中、冬でも咲いていた。(「タンポポは春の花」というのは正しくない!)

確かに引越した当初はもの珍しく車であちこち出かけているが、海はともかく、自然の木や花を楽しんだ記憶はあまりない。少し車で走れば平凡な農村が続いていたという印象が強かった。

鎌倉に引越して8年になるが、ここ何年か急に自然の木や花が恋しくなってきた。聞いてみると同世代の友人達もそうだと言う。やはり、トシのせいかな・・とも思うが、私の場合は子どもの頃の環境も影響している。

東京の杉並も当時はまだ田舎。家の近くには畑や森があり、家の庭にはかなりの数、かなりの種類の樹木が植えられていた。父は庭造りを趣味にしていたようで、夏休みは梯子をかけて庭中の木の手入れに余念がなかった。私にとっては、ままごと用の材料集めから始まって庭は遊び場でもあった。実家も今はすっかり変わってしまったが、あの頃庭中にあった一本一本の木を今でも鮮明に覚えている。○○の木が家の庭にあったかなかったかは、ほぼ100%正確に答えられると思う。

子どもの頃の環境は忘れた頃に思わぬところでその影響力を思い知らしめてくれる。恐ろしいものだ。最近花の写真を撮りたくなったのも、子どもの頃に慣れ親しんだ花達が今でも変わらず咲いている・・、人の生活はこんなに変わったのに、木や花は変わりなく(本当はずい分変わっているのだが・・)暮らしていることに感動を覚えたからかも知れない。そうか・・、人間も自然体で生きればいいのだ!

振り返って、豊橋時代、木や花に恵まれずに(?)過ごした我が娘は、恐るべき“花音痴”である。“しまったなあ・・”と思うがもう手遅れなので、せいぜい母親の花ページをよく見るように言い渡してある。(^-^;)

・・そんなことを考えていると、娘からメールが届いた。“なんか、よく遊びに行っているようですね。かわら版も更新してないようだし・・” うっ、そっちは見なくてもよろし!(^-^ゞ

4月の花(18枚)
いくつ花名が分かりますか?
ところで、“花(名)音痴さん”は若い世代だけでもないようだ。私は聞いてしまった。紫陽花倶楽部の某女がジンチョウゲを指して、“これ、キンモクセイだっけ?”とおっしゃったのを! 娘にも強力なライバル(?)が現れたようだ。

もう手遅れな方は、せいぜい私の花ページをご覧いただき、花に親しむきっかけにしていただければ幸いである。(^-^;)

P.S. ゴールデンウィークの鎌倉は大変混み合います。人を見たい人は鎌倉に来て下さい。花や自然に触れたい人は奥三河に行きましょう!

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